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企画屋の心

2013年10月25日

自分でも忘れそうになる「企画屋の心」。思い出させてくれるのは、後輩と過去の自分
明日は内定者合宿だ。ギリギリ主義の私は、毎度ながら今頃になって資料を作っている。毎年やっているのでかなり過去の蓄積があり、正直言って「使い回し」が多い。しかしそのお陰で、私は毎年、過去の自分が作った資料を見る。 そしていつも思うのが、昔の自分は結構良いことを書いているなぁということだ。手前味噌で申し訳ないのだが、入社直後の初々しかった時代に、考えに考え、悩みに悩んでまとめた「コンサルタントの在り方論」は、今読んでも「そうだよな」と思う。 事業会社に移ってすぐの頃、私の相棒に新卒1年目の男の子が1人ついた。当時の私は「経営企画」という立場が初めてであり、何をどうすれば良いのかわからなかったのだが、取り敢えず指示を出さないといけないので「コンサルは・・・」と言う代わりに「企画屋ってのは・・・」と置き換えて話をしていた。本当の「企画屋」がどうかはわからなかったが、コンサルも企画屋も似たようなものだろうと考えて、わからぬまま勝手に「企画屋論」を語っていた。 それから2年の歳月が過ぎ、自分もだいぶ会社に慣れた。慣れると愚痴も出るし、現実を目の当たりにしてイヤになることも多々起きる。先日、とある出来事で非常に嫌気がさして、「こんなこと、言ってもどうせ理解されないから、もういいよ。知らない」とぼやいていたら、今年で3年目になったその相棒の彼に「高田さん、どうせ理解されないことでも、いつか理解されると信じて引っ張り続けるのが、企画屋の心だって、昔僕に言ったじゃないですか」と言われた。 自分でハッとした。 そう。それが「企画屋の心」である。企画は、形が無い。目に見えない。その「目に見えないもの」を自らが信じられなくて、誰が信じられるというのか。周りを引っ張って、全体の行動を起こすべく、その「目に見えないもの」を強く信じること。それが企画屋の心なのだ。 「そうだよな。俺、確かそんなこと言ってたよな。良いこと思い出させてくれてありがとう」そんなような言葉を返した気がする。相棒の彼は、どこまで考えて僕にその言葉を投げかけたのかは知らないが、お陰様で自分は貴重なものを取り戻すことが出来た。学生を相手に勉強会をしていても、全く同じである。「コンサルってのは」「企画屋ってのは」と熱く語れば語る程、「ああ俺もちゃんとしなきゃ」と自らの背筋が伸びる。 ロジプレのサインを頼まれたら必ず「初心生涯」という言葉を書いている。 後輩と、過去の自分。 いつまでも、「企画屋の心」は忘れずに居たいものだ。